カポエイラは伝統武術の動き、ダンス、体操、音楽、戦略のコンビネーションです。
16世紀のブラジルを起源としています。
カポエイラのゲームは、2人で行われ、攻撃と防御の動きを交互に行います。
フィジカルコンタクトは基本なしですが、その限りではありません。
ゲームは音楽とともに行われ、いくつかの楽器によって奏でられます。
楽器を弾くバテリアとカポエイラをするカポエリスタによって作られた円の中でゲームを
します。





カポエイラは老若男女問わず、行うことができます。
現在ではブラジルに限らず、世界中で楽しまれていて、世界中に何千ものスクールが
存在しています。
カポエイラには、カポエイラヘジョナルとカポエイラアンゴーラの主に2つのスタイルが
あります。
カポエイラヘジョナルは一般に早いペースで行われ、格闘技の要素を持ちつつ、アクロ
バティックな動きを含みます。
一方、カポエイラアンゴーラはカポエイラのオリジナルのスタイルと考えられています。
ゆっくりなペースで行われます。
奏でられる音楽も2つのスタイルで異なります。

カポエイラの歴史は文書化された記録がないため、なかなか定義が難しいのが事実で、
諸説があるとされています。
1500年代から奴隷制廃止の1888年までに、西アフリカから強制的に送られた
奴隷たちは、ブラジルにさまざまな豊かな文化をもたらしました。
一方奴隷を支配する主人は、奴隷が反抗を起こすのを恐れて、彼らの持つ文化のうち、
戦いの伝統を禁止しました。
奴隷は歌とダンスを織り交ぜて戦いの模写を始めました。これが、カポエイラの
始まりとされています。
いつ、どこで、どのようにカポエイラが形成されていったかは、正確にはわかって
いませんが、ブラジルで生まれ、西アフリカにルーツがあることはわかっています。
カポエイラは結果として、奴隷の主人から身を守ったり、反抗するのに使われました。
ときに、獰猛で危険なスタイルだったため、1890年から1920年代まで法により
規制されていました。
しかし、隠れて行われたのも事実です。
カポエリスタは自分の身を隠すため、ニックネームを使っていました。
Mestre Bimbaはカポエイラヘジョナルの父とされています。
彼は1937年に正式なカポエイラのアカデミーを開校し、時の大統領の前でデモンスト
レーションを行いました。
ついに、カポエイラはMestre Bimbaの亡くなった1974年に、国民的スポーツとして
認識されました。
Mestre Pastinhaは1889年にSalvadorで生まれ、1941年にアカデミーを開校しました。
カポエイラアンゴーラの父とされ、1981年に92歳で亡くなりました。
現在でも彼の多くの生徒によってカポエイラアンゴーラは発展し続けています。